恵斎略画式モノ

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略画式モノの絵     略画式とは、簡単な描線で描かれたスケッチ風の表現技法であり、 現代の漫画の起源とも言える。古くは鎌倉時代の代表的な絵巻物である鳥羽僧正【とばそうじょう】 「鳥獣人物戯画」に、また享保年間には大坂で、大岡春卜【ぼく】『鳥羽絵【とばえ】三国志』、 竹原春潮斎『鳥羽絵欠【あく】び留【どめ】』などのいわゆる 「鳥羽絵本」の刊行が始まり、大衆に 広まっていった。さらに安永九年(1780)には、その流れをくんだ耳鳥斎【じちょうさい】が 『絵本水也空【みずやそら】』を刊行した。寛政七年 (1795)に、鍬形恵斎【くわがた・けいさい】によって 『略画式』が描かれ、これを契機に人物・鳥獣・山水・草花・魚貝などの略画式へと分化がなされ、 「略画式の恵斎」の異名をとることになった。

『畧画式』(24(A).寛政七年(1795)[江戸]刊)の神田庵主人の序には、

隣の爺がもとに梅一本あり。是を工みて一艘の舟の形になし春ごとに花をひらかせ秘蔵せり。 これ我好むところにあらず。まことに花をめでぬるには野梅こそよけれ。工まず、つくらず、 天然の風味あり。此画も亦しかり。形によらず精神を写す。形をたくまず、略せるを以て略画式と題す。
(梅木が加工されているのは好きではない。絵にしても、加工せずに、存在しているまま、 そのものの精神を写すように描くのがよい。描線に凝るのではなく略して描くのが略画式である。)

とあり、これは略画式の本質を尽くした表現と言えよう。

    恵斎が『略画式』を出して、二十年後の文化期には、葛飾北斎が最初の『北斎漫画』を 出版しているが、斎藤月岑【げっしん】の『武江【ぶこう】年表』に補注を加えた『武江年表補正略』 寛政年間記事を見ると

北斎はとかく人の真似をなす、何でも己が始めたることなしといへり。是は「略画式」を恵斎が著はして後 「北斎漫画」をかき、又紹真【つぐさね】(恵斎)が「江戸一覧図」を工夫せしかば、「東海道一覧の図」を 錦絵にしたりなどいへるなり。

とあり、北斎の画風が独自のものではなく、恵斎の影響を受けているということを示している。 また、筑前秋月藩のお抱え絵師であった斎藤秋圃【しゅうほ】も「人物略画式」などの影響を強く受けた 『つはものつくし』(3.文化二年(1805)序[大坂]刊)を残しており、 恵斎は、同時代を生きた絵師に多大な影響を与えた。