20.狂歌略画百人一首【きょうかりゃくがひゃくにんいっしゅ】(外)
扉題は「(角書)狂歌/堀川太郎題百人一首」。
撰者の雛群は三代目弥生庵(通称・君塚藤兵衛、慶応三年(1867)没)か。
江戸の大坂町にて茶亭を営んでいたという(狩野快庵『狂歌人名辞書』)。
一方の雛亀は桃江園雛亀と号した後、桃の本鶴盧と号したらしい。通称細木【さいき】藤兵衛
(安政三年(1856)没)。江戸山城河岸の富豪で、幕末戯作者のパトロンとしても有名。
本書は序文(一丁)の後、前半十二丁は、巴水連、桃下連の狂歌師の歌が
個々に色紙形中に描かれ、その余白には扉に「鍬形恵斎先生古圖」とある如く恵斎の略画によって
百人一首の絵姿の狂歌師達が計十二名。後半丁は、弥生庵雛群および桃本庵雛亀の撰による
「堀川太郎題狂歌百人一首初会」。刊記がないのは、狂歌連を中心とした配り本だったためか。
撰者の活動期を考えた場合、恵斎没(文政七年(1824))後に遺された「古図」を使用して
幕末に刊行されたものだが、その「古図」とは文化十二年(1815)刊の『手習百人一首』で、
その内の二十名分(十丁)の板木を流用したもの。『手習百人一首』は恵斎絵本の内の最稀本である。