10.[江都名所圖繪【えどめいしょずえ】]
内題「江戸名所圖繪 通景五十景」。内題の後、「天明乙巳(五年)秋八月 崑山阮璋識」の序文があり、
「巻頭之吟」として芭蕉翁の発句「花の雲鐘は上野か浅草か」が続く。その後、本文にあたる恵斎の画が拡がる。画は藍色の主線で
景物の輪郭を描き、効果的に朱の色をほどこした彩色版。風景は上野、両国、羅漢寺からはじまって浅草寺、飛鳥山、蓬莱宮まで内題
の通り五十景に及ぶ。各景に原則として一句ずつ肉筆(墨書)で発句を記し、「江戸名所杖」の点印を用いることから、本書が俳諧名
所画の絵半切【えはんぎれ】(書簡用箋や習字手本の彩色版絵入料紙)的性格を持つといわれる由縁。他にも江戸遊里図や鎌倉道中、
東海道中図など同体裁の物が画者不明で伝存し、一時流行したことがわかる。
本図絵には小澤弘氏の詳細な研究があり、同体裁を持つ本が五種現存すると報告、本来は折本装であったと
指摘、また五十景中特に「上野」「両国」「羅漢寺」「日暮里」「日本橋」「墨田川」「品川」「浅草寺」「飛鳥山」「蓬莱宮」計十
図(展示パネル[江都名所圖繪【えどめいしょずえ】]通景五十景のうち横長の十図参照)
のみが一段と幅の長い大きな景観となっているのは天明期の江戸名所における代表的な場所であったことに言及している(「『江戸
名所図会』解題」『鍬形恵斎・江戸名所図絵の世界』)。跋文および終句「白露は常緑樹の花紅葉かな」を寄せるのは撰者でもある
「東都 無佛庵主人撰」。撰者・無仏は、明和期頃の江戸雑俳点者の中心となった人物。
巻末の奥付刊記には、「畫者 東都堀戸止街杉祠頭 北尾恵斎政美図「北尾」(陽刻方印)「政美」
(陽刻方印)」とあることから天明五年の段階で既に「恵斎」の号を用いていることが窺える。