コレクション・個人文庫解説

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コレクション

ヨーロッパ法コレクション

ヨーロッパ法コレクション 50周年記念事業

野田 龍一

福岡大学では、創立50周年記念事業の一環として「ヨーロッパ法コレクション」を購入する運びとなり、去る6月18日、その調印式が執り行なわれた(福岡大学学報第46号)。
このコレクションは、その成り立ちを西独のカイプ社に負う。同社は、1977年以来5年の歳月をかけて、ヨーロッパ全域に亘って、18世紀以前の法律古書の収集をおこなった。その際の基準を提供したのが、同社と緊密な関係にあるマックス・プランク・ヨーロッパ法史研究所であり、とくにヘルムート・コーイング博士(現在:同学術振興協会副総裁)は、協力を惜まず、カイプ社から出向した幾名かのスタッフが同研究所で研修した。
ここに収録された文献は、総1011点、1437冊であり、刊行年次は、1480年-1876年である。これをグラフ化した別表によれば、16-18世紀刊行の文献が主たる部分であることが判明する(17世紀に落ち込みがあるのは30年戦争に由るものか)。収録文献の一部には、虫喰、破損あるいは落丁があるものの、専門技術員による補修が行き届いており、古書コレクションとしては、保存状態は、すこぶる良好といえる。このコレクションに匹敵する文献を一堂に蔵するのは、西独では、上述の研究所とアウグスト公図書館のみといわれ、本邦では勿論他に類例を見ない。
内容上、収録文献の主たる部分はヨーロッパ普通法に関する。今日、法律学の中心は、国家主権者の制定した法規範をその対象とするものである。だが、われわれにとっては自明のこの観念がヨーロッパで確立したのは、19世紀になって法律学が各国における文化活動の一環として理解されるようになった後のことであり、中世以後18世紀以前においては、法律学の本流はけっして各国別ではなく、ヨーロッパ全域に共通で統一的なもの(『普通法』)として発展してきた。
戦後ヨーロッパの法律学に顕著なのは、ECに具現されるヨーロッパ統一理念の興隆と相まって、現代法の諸問題を汎ヨーロッパ的な視座で解決しようとする傾向である。法制史の分野でも、ヨーロッパの法律学が嘗て統一的だった時代の諸成果で、19世紀における各国別の法典編纂の結果忘却されたものを歴史的に確認し、その現代的意義を明らかにせんとする立場が、唱えられている。翻って、わが国では、明治期にヨーロッパ各国の法律学が継受されたわけであるが、ここで継受された法律学とは、当時としては最新の、しかしまさに法律学が各国別の法典下にあった時期の法律学であって、加之、その性急な摂取態度にあっては、18世紀以前の普通法については、顧慮されるべくもなかった。「ヨーロッパ法コレクション」収録文献刊行年次グラフだが、わが国の法律学が19世紀後半のヨーロッパ各国の法律学の成果に立脚している以上、わが国における種々の問題を解決するにあたっても、普通法以来のヨーロッパ法の伝統を、18世紀以前に遡って再検討し、問題の解決の様々な可能性を歴史的に究明することは、現代の各国の法制の比較的研究に劣らず意義深いことと考える。
「ヨーロッパ法コレクション」が、かかる新たな研究に取り組まんとする者に限りない資料を提供するものであることを、ここに明らかにしたい。
第一に重要なのは、18世紀以前の普通法の主たる法源が「ローマ法大全」および「教会法大全」だったことである。このため、中世以後18世紀までの各時代において用いられてきた刊本を確定することが研究の前提となる。ここには、「ローマ法大全」につき、1552、1556、1589、1591、1664、1756および1776の諸年次の刊本があり、また「教会法大全」については、1582、1591および1605の諸年次の刊本があり、これだけの刊本が含まれているだけでもこのコレクションは本邦無比である。
しかし、注意されるべきは、普通法の主要法源が、今日の六法全書のごときものではけっしてなく、実務家がこれを適用するには、余りにも浩翰かつ難解だったことである。故に、二つの法源を実務で適用するために、この中から抽象的・普遍的法命題を抽出する作業が不可欠であり、これこそが中世以来の実定法学の最大の課題であった。かかる法律学は、12世紀ボローニャを中心に、法源の各条・各語句に対する注釈という形式で始まった(注釈学派)。この時期に属する文献としてはアーゾ、アックルシウス等の注釈が含まれる。
つぎに14世紀になると、実務とのヨリ強い結合や法源のヨリ体系的解釈を指向する助言学派が主流となるが、ここには、その首領バルトルスをはじめとする主要な文献が揃っている。
15世紀末になると、当時のユマニスム(人文主義)の影響の下に、とくにローマ古典法に回帰することによって法律学を革新せんとする一派が出てきたが、このユマニスム法学に関しても、その創始者アルチャートゥス、ツァシウスおよびビュデならびにその大成者クヤキウスおよびドネルス等、きわめて豊富な文献がある。
このユマニスム法学とほぼ同時代に、サラマンカを中心とするスペインでは、ローマ法よりもスコラ哲学に拠るいわゆるスペイン学派が生まれ、この学派は、近世自然法学に与えたその影響のゆえに近時注目されつつあるが、その文献は、従来わが国には殆んど所蔵されていなかった。しかるに、このコレクションは、この点でも、コウァルウィアス、レッシウスおよびモリナ等の主要文献を含み充実している。
17世紀になるとオランダを中心に近世自然法学が生じた。グローチウス、プーフェンドルフの名によって知られるこの学派は、近代諸法典に体系的基礎を与え、また国際法理論の形成に寄与したことで有名である。国際法関係についてはすでに数多くのリプリント版があるが、ここに収録されているのは、従来リプリントされることの少なかった私法関係の文献である点、貴重である。しかしこの近世自然法学の影響が近代諸法典において結実するのは18世紀末-19世紀のことであって、17-18世紀において実定法学の主流をなしたのは、かのローマ・教会法源をヨーロッパ各地の現状に適合させるべく、平明化・現代化した「ローマ法の現代的慣用」学派であった。この学派の文献を豊富に蔵することで著名なのが一橋大学の「ギールケ文庫」であるが、このコレクションには、それに勝る質・量の文献がある。
以上の文献を手がかりに18世紀以前の普通法学説を究明できるとしても、なお不可欠なのは、なにゆえにかくのごとく各学説は推移したのか、また実務に真に「理論」を提供したのはどれだったのかを確認する作業である。かかる作業のための資料となるのが、ここに収録されている法学者の助言、鑑定ならびに各時代の判決録である。このような実務資料の充実も注目すべき特色である。
以上このコレクションの主たる部分である普通法、就中、ローマ・教会法文献について検討してきたが、かかる普通法の存在にもかかわらず、ヨーロッパ法は、今日同様、中世以来、各地域社会ごとの多様性をも併せもってきたのであって、かかる多様性を具現する「地域法」をも、今後の普通法研究にあたっては顧慮することが重要である。この点についても、比重は軽いとはいえ、ここには、ドイツ(バイエルン、ザクセン、プロイセン、ヴュルテンベルク等のラント法ならびにニュルンベルク、フランクフルト、ヴォルムス、マグデブルク等の都市法典)、フランス各地の慣習法集、イタリア諸都市(ポローニャ、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、フェラーラ等)の都市法典、その他スペイン、ポルトガル、スウェーデン、ハンガリー、ネーデルラント等、各地の法令集がある。 このコレクション中の文献にも、たしかに欠本や破本もみられる。これらの補充をどうするか、また、このコレクションを核として、いかに文献を充実させてゆくか-これは、今後に残された課題である。
ここでは、わたくしの狭い問題関心から、このコレクションの意義を論述してみた。将来、研究が進むにつれて、その意義は、また別の側面から確認されることであろう。そのためには、今後この「ヨーロッパ法コレクション」が、これまでの数百年同様良好に保存され、しかも同時に、日本のみならず、汎く世界に、その全容が公開される必要がある。これに鑑みれば、このコレクションが、温度21-22°C、加湿40%、除湿65%の空調を備えた新設の「貴重書庫」(新書庫5層)に一括配架されているのは、その保存のために願ってもないことであり、また目下、図書館スタッフによって残業につぐ残業を重ねておこなわれている目録作成作業は、必ずや将来の利用者に良き道標を提供するものと期待され、深謝にたえない。
最後に、このコレクションが50周年記念事業の一環として本学に購入されるについては多くの方々の御尽力を賜ったが、これらの方々に、心からなる謝意を、この場を借りて、申し述べたい。

(法学部 講師)
【「福岡大学図書館報No.39(1984年9月15日発行)」より転載】

スタインベック・コレクション

スタインベック・コレクションについて

橋口 保夫

福岡大学図書館がすぐれたスタインベック・コレクションを収蔵するにいたった経緯を、仲介者フロリアン・J・シャスキー氏との往復書簡によって紹介することにする。

拝啓
テツマロ・ハヤシ教授から、有名なモーリス・ダンバー所蔵ジョン・スタインベック・コレクションを売りに出すことをあなたに知らせてはとすすめられました。
御存知と思いますがダンバー教授は長年にわたりすばらしいスタインベックの一次資料と二次資料を収集してこられました。同教授のコレクションはスタインベックに関する講義の基礎資料となり、学生の自由な利用に供されました。(中略)
コレクションは300点を越える物件からなり、カタログ情報で簡単な説明を加えております。御希望でしたら御検討いただくためにカタログ資料をお送りいたします。スタインベック資料としてきわめて貴重ですので一括取引を考えております。
コレクションの価格は24,500ドルです。この金額は単品価格の総和より割安になっております。また相場と私の経験にもとづいております。私はスタインベックの手紙や書籍の販売をはじめて数年になり、『エリザベス[スタインベックの出版代理人]への手紙』を編集しました。(後略)

1984年4月20日 フロリアン・J・シャスキー

 

拝啓
4月20日付の御親切なお便りで、モーリス・ダンバー所蔵ジョン・スタインベック・コレクションを売りに出すとお知らせいただきまことにありがとうございました。
ダンバー教授が有名なスタインベック収集家であり、ハヤシ教授が国際スタインベック協会会長であり、あなたが『エリザベスへの手紙』の編集者であることが、本コレクションの信憑性の何よりの保証であります。(中略)
福岡大学に本コレクションの一括取得を申請します。つきましては300点を越える物件のカタログ情報をお送り下さい。(後略)

1984年5月9日 ヤスオ・ハシグチ

 

拝啓
御親切なうれしいお便りまことにありがとうございました。(中略)スタインベック・コレクションの物件の簡単な説明のコピーを同封いたします。(中略)
図書、小冊子、関連物件の保存状態はきわめて良好です。二次資料は特に貴重で、コレクション中の手紙には書誌学的な細目に関する多くの記録が含まれております。
他に二つの大学図書館がダンバー・コレクションに真剣な関心をよせていることを特に申し述べさせていただきます。コレクション取得の真情を表明されましたので、あなたのためにとっております。出来るだけ早く公式の意志表明をお送りいただけますと幸いです。(後略)

1984年5月16日 フロリアン・J・シャスキー

 

拝啓
5月16日付の御丁重なお便りまことにありがとうございました。特に他に二つの大学図書館からの真剣な引き合いにもかかわらずモーリス・ダンバー所蔵ジョン・スタインベック・コレクションを私と福岡大学のためにとっておいていただき感謝にたえません。
情報カタログをそえて福岡大学図書館に本コレクションの一括取得を申請しました。大学図書館は状況の緊急性を承知しております。したがって早急に検討することで格別の御厚情に報いるはずであります。正式決定まで長くお待たせはいたしません。

1984年6月7日 ヤスオ・ハシグチ

 

拝啓
6月7日付の御親切なお便りまことにありがとうございました。(中略)早速福岡大学図書館にダンバー所蔵スタインベック文庫の取得を御申請いただき感謝いたします。本コレクションはあなたのために確保しております。このすばらしい取得の詳細に関して御連絡をお待ちしております。心からの敬意と感謝をこめて。

1984年6月11日 フロリアン・J・シャスキー

 

拝啓
6月11日付の御丁重なお便りまことにありがとうございました。
うれしいお知らせをいたします。福岡大学図書館はモーリス・ダンバー所蔵ジョン・スタインベック文庫の取得を決定しました。また、大学及び私に代わってこのすばらしい取得の詳細に関してあなたと連絡をとるよう東京の丸善に依頼しました。(後略)

1984年6月21日 ヤスオ・ハシグチ

 

拝啓
6月21日付の御丁重なお便りまことにありがとうございました。すばらしいモーリス・ダンバー所蔵スタインベック・コレクション取得の御決定に対し、あなたと福岡大学におよろこびを申し上げます。
金曜日[6月22日]に取得の詳細に関して東京の丸善から電話連絡がありました。丸善には海外電報を打ちましたが、引続き文書で、本コレクションの売渡しと発送は丸善を通して行なうことを確認することにしております。
本コレクションの厳重な梱包を開始しました。このスタインベック物件を日本に発送する処置を早急に講じます。(後略)

1984年6月25日 フロリアン・J・シャスキー

 

拝啓
6月25日付のうれしいお便りまことにありがとうございました。すばらしいモーリス・ダンバー所蔵ジョン・スタインベック・コレクションの当方への売渡しと発送を東京の丸善を通して行なうことを御確認いただき、福岡大学図書館とともに厚く御礼申し上げます。(後略)  

1984年7月3日 ヤスオ・ハシグチ

 

拝啓
モーリス・ダンバー所蔵ジョン・スタインベック・コレクションは周到に梱包され、丸善を通して福岡大学に発送する用意がととのいました。
本文庫は段ボール箱17箇に収められ、総重量445.5ポンドすなわち202.5キログラムになります。本日午後のトラック便で出荷し、今夕空輸されるものと思います。(後略)

1984年7月11日 フロリアン・J・シャスキー

 

拝啓
7月11日付のうれしいお便りまことにありがとうございました。このうれしいニュースを早速大学図書館に連絡しました。御親切でてきぱきした御発送に図書館ともども感謝いたします。(後略)

1984年7月25日 ヤスオ・ハシグチ

 

拝啓
(前略)うれしいお知らせをいたします。ダンバー教授所蔵スタインベック・コレクションは丸善経由で無事福岡大学に到着しました。ダンバー教授は同教授のコレクションが最終的に福岡大学の所蔵となったことをよろこんでおられました。(後略)

1984年8月13日 ヤスオ・ハシグチ

 

(人文学部 教授)
【「福岡大学図書館報No.44(1986年4月1日発行)」より転載】

西洋哲学コレクション

ギリシア語原典アリストテレス全集初刊本について

図書館長  岩隈 敏

本学図書館は創立60周年を記念し、ギリシア語原典初刊アリストテレス全集5巻6冊を購入した。
これはヴェネツイアの学匠印刷家アルドゥス・マヌティウスにより1495年から98年にかけ出版された、いわゆるインキュナブラ(揺藍期本)である。かつては、ロクスバラ・クラブの会長でもあったパウィス伯(1785-1848)の蔵書に属し、18世紀中葉赤モロッコ装の優れた稀こう本で、保存状態もきわめてよい。
言うまでもなくアリストテレスは紀元前4世紀古代ギリシアの偉大な学者である。今では哲学者としてのみ有名だが、天体、気象、動植物から人間の生理、心理にわたって研究した自然学者でもあり、かつ詩学、政治学、経済学等の著作もある、いわば「万学の祖」なのである。たんに言葉の狭い意味ばかりでなく、あらゆる意味での Philosopher(知を愛し求める人)だったのである。
彼の著作はそれまで諸種の写本で伝えられたが、多くはラテン語訳で読まれていた。本全集が出版されたヴェネツィアは、当時ギリシア古典研究の一中心地となっていただけでなく、イタリア揺藍期本の半数が刊行された出版の盛んな都市でもあった。人文学者アルドゥスはギリシア語古典写本を秘蔵する「本の埋葬者たち」のために、それを直に手にして読む困難を痛感していた。このことは彼が出版した揺藍期本36点のうち半数以上がギリシア語刊本であることにもよく示されている。アリストテレス全集をリストテレス原典研究が盛んになったことを如実に示している。真の古代哲学の姿がアルドゥス・マヌティウスの全集版刊行によってあらわれ、今日まで続くながい研究の道が開かれたことは強調されてよいであろう。
さて今日、各情報機関においては機械化とネットワークの進展にともない、諸方面での相互協力が可能となった。図書・情報資料の点でも、今後互いに分担収蔵をはかるとともに、各々は独自の個性をそなえることが強く求められるであろう。貴重書・稀こう本についても同様である。
これの収蔵は大学図書館の一つの大きな使命であるが、本学にはヨーロッパ法コレクション以外、まだきわだった特徴はない。この先どんな特色をもった図書館にするか、重要な課題であろう。
(この報告は紀伊國屋書店古書部・佐藤 図氏の本全集に関する詳細な調査書にもとづき作成した。が、もちろん文責はすべて筆者にある。)

(人文学部 教授) 【「福岡大学図書館報No.69(1994年7月11日発行)」より転載】

ウィリアム・モリス(ケルムスコット・プレス)コレクション

ケルムスコット・プレスとウィリアム・モリス

人文学部教授 前田 雅晴

ケルムスコット・プレス(Kelmscott Press)は1891年、ウィリアム・モリス(William Morris)によって創設された近代初のプライヴェート・プレスである。プライヴェート・プレスとは、利益追求型の印刷所ではなく趣味的に楽しみのために活動している印刷所のことである。そうした貴族趣味的印刷は16世紀以来の伝統があるが、イングランドの場合、その最たるものが18世紀後半に活動したホレス・ウォルポール(Horace Walpole)のストローベリ・ヒル・プレス(Strawberry HillPress)であろう。19世紀後半なると、このプライヴェート・プレスの活動は以前よりずっと広がりをみせ、ずっと意識的現象となった。
そして、モリスがケルムスコット・プレスを設立するきっかけとなったのが、エメリ・ウォーカー(Emery Walker)が行った、当時の商業出版物の水準を批判した講演だった。
ケルムスコット・プレスは20世紀前半までのプライヴェート・プレスに範をたれるものだったが、このプレスの最大の関心は、紙・インク・活字・デザイン・装丁といった書物の物的質に関することだった。モリスは、産業革命期、社会が以前には考えられないようなスピードで変化しつつあった時代に、中世修道院風の共同生活を営みつつ、完全な芸術を製作することを理想とするなど、当時流行の生活様式を改めることに大いに力を注いだ。機械化された社会の美学に反発したモリスは、本作りに関しても伝統的方法へと立ち返り、活字やページのレイアウトのモデルとして歴史的に遥か中世にまで遡った。資本主義に拘束されない自由な職人が自分たちの本業に精を出し、実用的でもあり、美的な価値も兼ね備えた物作りに専念する時代としケルムスコット・プレスは正にそうした精神世界の産物であり、印刷術黎明期の純粋なところを復活させると同時に、読みやすくまた明確に美を主張しているような本作りを目指そうとした。それは文字通り近代プライヴェート・プレス運動の始まりを刻する記念碑的なものであった。
最初の本はモリス自身のStory of the Glittering Plain(『輝ける草原の物語』)で1891年に出版された。以来ケルムスコット・プレスが閉鎖される1894年までの間に、53点の著作と様々な小冊子類が印刷された。初期の本はモリスがその目的のためにデザインしたゴールデン活字で印刷されたが、1892年末までに彼はトロイ活字という独特な活字を作り出した。両活字とも15世紀のゴシック風デザインに基づいたものである。ケルムスコット・プレスの最高の作品は、そのトロイ活字で印刷された『チョーサー作品集』(1896年〉といってよいだろう。本の天、地、内、外の余白部分をどう取るかということが中世の本作りの作者には重要で、内・天・外・地の順に20%ずつ余白部分を広げていくのが中世の書物作りの流儀だったが、モリスは『チョーサー作品集』でも勿論この鉄則を見事に踏襲している。見出しにトロイ活字、本文にはそれより小振りの、この作品集の為にモリスが苦心の末作り出したチョーサー活字を使用、1894年に印刷開始、1896年6月に完成を見たこの『チョーサー作品集』は世界三大美書の一つと絶賛されてきたものである。これまた当時のイギリスを代表する人気画家、バーンジョーンズ(Burne-Jones)の手になる87枚の木版挿絵が正しく錦上華を添え申し分のない仕上がりになっている。
幸い『チョーサー作品集』は既に福岡大学図書館に収蔵されており、その他ケルムスコット・プレスの出版物のうち主要作品のほとんどが、現在着々と継続して購入されつつあり、ここ数年のうちに一つの完結した姿を私たちの前に見せてくれることと思う。モリスの創設したケルムスコット・プレス、そしてそのプレスが作り出した独特な書物の世界は、近代西欧文化の清華が凝集された稀有な小宇宙なのである。

【「福岡大学図書館報No.93(2002年7月10日発行)」より転載】

江戸時代九州文献コレクション

新収「九州関係の江戸時代文献コレクション」の解説

中野 三敏

福岡藩を中心とする九州関係の江戸時代文献コレクションを、図書館に購入して貰うことになりました。目玉になるのは江戸時代の後期(十九世紀)に博多で出版された書物群で、それに久留米、佐賀、長崎、熊本といった地域の出版物、及びそれ等の地域の儒者、文人等の著述類を纏めて、全部で七十点ほどにもなります。実は私自身、このコレクションが東京の一古書店の手元にある時から、個人的に見せて貰い、更にその中の一部を利用させて貰って報告、論文を書いたりもしましたが、内容と分量、何れの点からいっても、これは是非とも九州のしかるべき場所に(出来ることなら福岡の地に)置くべきものと思っていたのです。今回こうして当図書館に落ち着いたのは、その利用面一つをとっても、何よりの処置が出来たものと、誠に喜ばしく思はれます。以下、若干その価値について述べてみます。
江戸時代の日本は、世界にも稀な出版文化の先進国として位置づけられますが、それはあく迄も京、江戸、大坂の三都を中心とするものだったのは致し方の無い所であり、より地方への広がりが見えてくるのは、十九世紀に入ってからのことでした。九州の地もそれに洩れず、各藩の城下において実際に出版が行われるのは寛政前後からですが、その現物の保存・収集といった面は全く立ち遅れてしまい、平成の現在、意図的にそれを行っている所は皆無といえましょう。或いは意識はあっても現物が既に見つからないというのが実状であると言い換えてもよいかと思います。例えば、この福岡藩内で実際に出版を行った本屋といえる存在が、何時から何軒ほどあったのか、又それは何という本屋かなどという具体的な事柄についても、つい先頃、実は今回当図書館の所有する所となった資料を用いて、寛政十二年に薬院の推移軒という本屋が刊行した「農家訓」という本が、その最初のものであった事を明らかにし得たばかりです。
今回のコレクションには、その「農家訓」を含めて博多版だけでも九点、久留米版四点などがあり、その殆どがこのコレクション一点のみの現存という状況です。しかも久留米版の内の一点は、全頁色刷りという、技術的にも極めて注目すべきものであります。このような現物を細かに調査することによって、江戸時代後期の地方文化の実状を確実に認識し、評価することが出来るわけで、その為にも是非意図的にこうした分野の収集に心がける事が大事なのです。しかし今日的状況はかなり悲観的な様子を呈しています。一刻も早く手をつけないと、恐らく後世に大変な悔いを残してしまうことになりましょう。今回の当図書館の処置は、その意味で極めて重要な決断でもあった訳です。
幸い当図書館には、井上忠先生によって購入された福岡藩儒亀井昭陽の自筆詩稿がありますが、今回購入分の中の「元鳳先生丙戌稿」一冊は紛れもなくその続きに相当するものでもありました。また「小川島鯨鯱合戦」一冊や「西国順拝續栗毛馬」一冊などの写本は、戯作とよばれる俗文芸の一種ですが、いわゆる江戸戯作が、その都会的性格から、どうしても三都に偏在するべきものであるにもかかわらず、こうして地方にも作者が生れ、それが伝播してゆく状況を実証し、地方文化なるものの内容をよく理解し得るようにしてくれるものです。近代モノにも珍しい物が多く、明治六年刊の「太宰府博覧会出品目録」や、明治十四年刊の長崎円山遊廓の遊女評判記「佳景時計」などは大変稀なものであり、大正七年の川端町夏祭謎会の巻物などは、ごく最近の事ながら、すっかり忘れられてしまった、こうした町内遊戯の存在そのものを思い出させてくれる資料として、その価値は絶大というべきものでしょう。
今後はこのコレクションを中核として、その補充につとめる事が何より大事なことと思います。そうすれば当図書館が福岡もしくは九州地区の地方文化研究の一つの中心的存在となる事は疑いありません。

(人文学部 教授)
【「福岡大学図書館報No.87(2000年7月10日発行)」より転載】

江戸明治漢詩文コレクション

「江戸・明治漢詩文コレクション」について

人文学部(日本語日本文学科)教授 高橋 昌彦

当コレクションは、本学人文学部元教授中野三敏先生の蔵書の一部を、創立75周年記念事業の一環として購入したものです。その名が示す通り、江戸時代から明治時代(一部大正期以降の典籍を含む)にかけての漢詩文集1500余点から構成された国内屈指のコレクションと言えます。

1. コレクション形成の経緯
中野先生は、九州大学名誉教授にして、江戸文学がご専門。この分野で初の文化功労者に選ばれ、今年の正月には皇居でご進講の大役を果たしており、まさしく自他ともに認める日本近世文学研究の第一人者と言えます。無類の本好きで、一度目にした本は忘れないという極めて特異な記憶力の持ち主として知られています。代わりに、人の名前はまったく覚えません。まさしく「書痴」と言えるでしょう。若い頃から、自分が定めた金額以内の和装本であれば、分野に関係なく購入したため、当時比較的値段の安かった漢詩文集の数が自然に増えていったと聞いています。本好きではありますが、世間でいうところのコレクターではありません。不要になった本はどんどん手放し、この世に一点しか確認されていない貴重本でも、躊躇うことなく他人に貸与するといった行動からも、それがわかります。本は必要な人のもとに行くのが一番の仕合わせというお考えで、かく言う筆者も学生時代からどれほどの恩恵を受けたかわからないほど。論文について相談に行き、○○のような本を探していると尋ねると、大抵は「それ、持ってるよ」とのご返事、筆者にとっては青い猫型ロボットのポケットのような存在、学界垂涎の書群と言えるものでした。
その先生が、平成18年3月に本学での定年を迎えるにあたり、蔵書の処分を考えておられるという話は、研究者の間でも噂になっていました。同じ時期、先生の周りで幾人かの研究者が亡くなり、残された蔵書を巡って遺族が大変な思いをしているのを目の当たりにしての決断ではなかったかと推察されます。天下の中野文庫ですので、あっという間に国の内外から、是非とも譲ってほしいという問い合わせがありましたが、「できれば九州から出したくない」という先生の強い想いと、本学における当時の池上図書館長をはじめとする多くの人々の尽力が実を結び、無事本学に収まることになったという話です。さて、ここまでは目出度し目出度しなのですが、この話には続きがあります。当コレクションは、先生の蔵書の中で最も大きな纏まりではありましたが全てではありません。これに引き続き、絵本・法帖・随筆などの購入が第二弾として準備・予定されていたのですが、残念ながら本学に入ることはなかったのです。詳細は紙数の関係で端折りますが、結果として残りの蔵書は、九州大学附属図書館に入りました。「雅俗文庫」と名付けられたその典籍は、まだ整理が続いていると聞いております。

2. コレクションの内容について
日本文学研究の礎にあるのは和歌と漢詩文、これは言わずもがなの常識なのですが、漢詩文について言えば、江戸・近代文学研究の中では、長い間放置されてきた分野と言えます。どれほどの数が著され刊行されたのか、どのような影響を与えてきたのかなど、ほとんど手つかずのまま、学者たちはもっともらしく文学史を語ってきたのです。ようやく近年になり、その重要性が再確認されてきましたが、一方で市場におけるこれらの本は高騰し、個人で蒐集するには機を逸してしまった感は否めません。つまり、一個人の古典籍コレクションとして、これほどのものが現れることは今後ないだろうと思われるのです。現在、漢詩文のコレクションとして、国立国会図書館鶚軒文庫・国立公文書館内閣文庫・東北大学狩野文庫などが、質・量ともに充実した所蔵機関と言われていますが、当コレクションはそれに匹敵する内容を持っているのです。
天下の孤本や全国に数部しか残存していない典籍は、枚挙に遑がありません。例えば、たまたま手にした川本衡山『于役?草(うえきぎんそう)』〈写真1〉を、古典籍の所蔵先を調べるための基礎文献資料『国書総目録』で引いてみると、その所蔵先は全国で3ヶ所のみと、このような本が何百部あるのか、筆者も掌握しきれていない現状です。
更なる特徴として、同じ書名の本が複数存在することが挙げられます。「写本(手書きの本)は勿論、版本(出版された本)にも同じものはない。同じ書名の版本でもどこか異なる箇所があるものだ。だからこそ、できれば本を目の前に並べて見比べるのが一番よいのだが……」。これは、先生が繰り返し唱えてきた版本書誌学の実践法です。しかし、現実にはこのような調査はなかなかできず、コピーやメモを片手に全国各地に散らばる諸本を見ていくのが精一杯のやり方です。しかしながら、前述したように当コレクションには複数部の同じ書名を見ることができるのです。そして、その内容は決して同じではありません。大きくは、序跋文の追加や削除、奥付・見返しの変更から、細部の文字や挿絵の入れ替え、罫線の切れ目に至るまで、並べて見ることで気付く違いがいくつもあるのです。一般の公共機関では、まず同じ題名の本を何冊も買いません。書誌の見識があってこその蔵書形成、これこそが当コレクションの大きな特徴でもあるのです。我々は、広いテーブルの上に、心置きなく諸本を並べて比較することができるのですから、こんな贅沢はありません。というわけでコレクションの認知とともに、徐々にではありますが、学外からの閲覧希望者も増えてきているようです。

3. 利用法について
さて、当コレクションは、全冊貴重書になっているため、図書館5階の貴重書庫で静かに眠っています。傷みや虫喰いの補修を終え、保護のための新しい帙をまとって、閲覧者が訪れるのを心待ちにしているのです〈写真2〉。したがって、現物を手に取るためには、事前の申し込みが必要になります。本学図書館トップページから、「図書館を利用する」をクリックし、貴重書の閲覧許可申請を行う必要があります。何とも手間がかかるものです。もし、面倒だと思うのであれば、せめてどのような本があるか、一度目録だけでも見てください。同じく図書館のトップページから「コレクションを見る(コレクション紹介)」をクリック、そこに「江戸・明治漢詩文コレクション」の項目がありますので、そこから入ってもらえれば、目録データベースで多彩な検索が可能になっています。また、一部は画像を見ることもできます。
本来、大学図書館は、その大学に籍を置く人々のために存在しています。せっかく所蔵されている貴重なコレクションですので、学外の人よりは学内の人により多く利用されるようになってほしい。この紹介文がその一助となれば幸甚と信じつつ、擱筆。

【「福岡大学図書館報No.124(2013年10月25日発行)」より転載】

解剖学・医学関係コレクション

杉田玄白や前野良沢らの尽力により出版され、日本の医学の発展に寄与した『解體新書』。 また、その『解體新書』より200年以上前に出版され、医学史に大きな功績を残し芸術的にも高く評価されている『ファブリカ』。 福岡大学図書館では、この貴重な両資料を所蔵しています。

解體新書

本書はオランダ語の『ターヘル・アナトミア』(俗称。本来の書名は『Ontleedkundige Tafelen』で“解剖図表”の意味。)の本文を杉田玄白らが漢訳したもの。
ドイツの医学者クルムスの“Anatomische Tabellen”が原著であり、『解體新書』はその重訳となる。杉田らは小塚原刑場で刑死者の腑分け(解剖)を見学し、同書の内臓図の正確さに驚嘆し、オランダ語の辞書も無い時代に3年をかけて翻訳した。日本で最初の西洋医学翻訳書で、神経、軟骨、動脈などの訳語を造り出した。
なお、誤訳も多かったため、52年後に大槻玄沢により訳し直された『重訂解體新書』が出版された。

ファブリカ

ファブリカは、アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius,1514-1561)が1543年に27歳の若さで著した解剖書である。解體新書の約230年前に刊行されている。
原書はラテン語で全7巻からなり、本文と索引を合わせて700頁を超える大著である。
ファブリカが出版された16世紀頃のヨーロッパはルネサンスの最盛期であり、解剖図は非常に芸術的・美術的要素が強く、迫力が感じられる。

【「福岡大学図書館報No.133( 2018年7月10日発行)」より転載】

個人文庫

川添昭二文庫

「川添昭二文庫」の概要

人文学部(歴史学科)教授  森 茂暁

1. 創設までの経緯
本文庫は、九州大学名誉教授川添昭二先生(1927~)の蔵書が福岡大学新中央図書館(以下、新図書館と略称)の設立に伴って新図書館に寄贈され、その4階に特別資料室として開設された日本史中心の研究施設です。
川添先生は平成2年3月に九州大学文学部教授を定年退官され、引き続き同9年3月まで福岡大学人文学部教授として教鞭をとられた日本中世史研究の泰斗です。この間の同先生の本学学生に対するご指導にはたいへん篤いものがあり、本学での先生の最終講義で教え子たちが感激の涙を流したという逸話もあります。先生がいかに教え子たちに慕われたかがうかがわれます。ことに福岡大学と同大学に学ぶ学生たちをこよなく愛される川添先生は、広く研究に役立ててもらおうと新図書館の設立を記念して、永年にわたって集められた厖大な蔵書を寄贈されたわけです。そのご意志はきわめて尊く、利用する側はその貴意を十分に忖度し、蔵書を大切にし活用する責務があります。
私たちが、蔵書ご寄贈のご芳志をうけて、人文学部教授会に諮ったうえで、同学部長名で図書館長にあてて受贈の要望書を提出したのが2007年5月、また新図書館のオープンは2012年7月でしたから、受贈の完了までに5年の歳月を要したことになります。この間、大学当局には終始暖かいご理解とご援助とをいただき、図書館の関係各位にはたいへんお世話になりました。同時に、寄贈される側の先生ご自身も、蔵書の整理分類や運搬にいたる諸作業に必死で当たられたことも付記しなければなりません。

2. 内容と特色
まず参考までに、川添文庫の蔵書量について記しますと、図書館の学術情報課に尋ねたところ、書籍3万5千冊(他に各種の学術雑誌あり)、および研究のための諸資料を市販のケースファイルに収納した「研究用ファイル」5千冊、それに研究論文名などを記した「図書カード」42万枚、だそうです。この「書籍」と「ファイル」と「カード」とは三位一体の関係にあり、うまく組み合わせて使うと、ものすごい相乗効果を引き出すことができます。
同文庫の書籍は、簡単にいうと、寄贈された日本史全般におよぶ厖大な書籍・資料を体系的に分類配列したものです。具体的には、「川添昭二文庫」に収蔵されるのは、上述のように大きく、①図書・雑誌、②研究用ファイル、③図書カード、三つに分類されます。
その各々の特色を簡単にいうと、まず①については、日本中世史を中心に日本の古代・中世の政治・経済・文化(宗教・文学・美術・芸能その他)・外交など各方面にわたっており、ことに日本中世の政治・宗教・文学の分野、東アジアの国際関係(宋・元、高麗、琉球)分野などは充実しています。また九州中世史関係文献の充実度には高いものがあります。これらの特色は、以下のファイル、図書カードについても同様です。また雑誌とは、日本史関係の各種研究雑誌です。なかには「歴史公論」「社会と伝承」「西日本史学」「史創〈鹿児島大学〉」など、今では廃刊になって求めがたい貴重な雑誌もあります。
②については、主としてB5型ケースファイルの各冊に、項目別で関係資料が収納されています。これは図書および図書カードと関連しており、内容的には①と共通しています。各項目別に整理されているので、それぞれの研究分野の資料として即座に利用することができます。
利用の際に留意すべきことがあります。ファイル各冊の中身が一枚ものですから、脱落させたり順番を狂わせたりしないことが大事です。抜き取ることなどもってのほかです。こうした資料は完全形であることが身上ですので、一枚でも決して欠失させないよう特段のご配慮をお願いします。
③については、現在カードボックスに収納されています。これはすでに述べた図書やファイルの内容・特色と照応しており、日本史各分野の研究を推進させる可能性を秘めた基礎資料です。さらに種々の文献資料に登場する歴史用語なども細かく分類蒐集されていて、一種の歴史用語辞典の観があります。こうした点はこの文庫の大きな特色です。

3. 学術的な価値
この文庫の開設によって、福岡大学新図書館は新たな、しかも重要なセールスポイントを加えたことになります。川添文庫に所蔵される研究資料は同種の公的・私的な研究施設と比べても、まったく遜色がありません。この巨大な研究資料のかたまりを核として、九州を中心とした地域史研究を展開させることも十分に可能で、この文庫はそのための中心となり得ます。さらに、福岡大学の教育・研究のためにも、実に大きな推進力となること間違いありません。同文庫は本学の将来的発展にとってまさに貴重な知的財産です。
川添文庫の蔵書の中心は日本中世史関係の書籍類ですが、この文庫に所蔵される書物の内容的な範囲は広く、日本中世史のみにとどまりません。先生のご研究の幅広さを反映して、それ以外のジャンルの書籍も多く含まれています。ですから、古代や近世、近代・現代の諸問題を考える場合においても、同文庫所蔵の書籍は大きな助けとなります。
また、新図書館では閉架の書庫には人が入ることはできません。機械式で請求図書を探し出す方式に変わりました。これはある意味では不便で、手間がかかります。しかし川添文庫は開架式ですから実際に手にとってみることができます。川添文庫は、機械式になったがゆえの不便を補い、福岡大学図書館の蔵書を質量ともにグーンと向上させたといえます。
あとは私たちがいかに活用するかにかかっています。

4. 文庫の利用法
まず最初に、端末のパソコンに、調べたいことがらに関するキーワードを打ち込んで検索して下さい。すると画面上に多くの関係図書、研究用ファイルが表示されます。その請求記号によってお目当てのものを探しましょう。そして、同文庫の図書や「研究用ファイル」を手に取ってなかに入っているものを見て下さい。いろいろな資料が即座に入手できます。それがゼミ報告や卒論、レポート作成の時など大いに役立つこと請け合いです。
川添文庫には、いま一つ先述した、厖大な量の図書カードがあります。このカードは、研究文献名を一枚一枚、先生ご自身が奥様のご協力(先生はこれを家内制手工業と呼ばれた)を得て、永い歳月にわたって日課として手ずから書き記されたものです。これによって、そのテーマに関する研究の進み具合と関係文献の所在とを容易に知ることができます。次にはこのカードによって調べた文献を探して読むのです。かくして利用者の皆さんは、きちんと研究史をふまえた形で新しい研究を行うことができるのです。この「川添昭二文庫」の便利さとありがたさは、これを使いこなすことによって次第に強く認識されることと思います。
最後にひとこと付け加えますと、この図書カードは、福岡市教育委員会との協業によって、近々、ネット上で検索できるようになる予定です。そうなると、誰でもどこからでも、信頼度が高く網羅的・可及的な学術情報を簡単に手に入れることができます。

【「福岡大学図書館報No.123(2013年1月15日発行)」より転載】

河田溥音楽文庫

福岡大学図書館“音楽文庫”寄贈に寄せて

河田 溥 名誉教授(ボン・ベートーヴェン・ハウス会員)

このたび本学図書館に“音楽文庫”、詳しく申せば“ベートーヴェン文庫”を寄贈させて頂くという望外の栄誉に与かることとなり、心から感謝申し上げる次第でございます。これまでの長い年月をわが福岡大学に奉職したとは申せ、一医学徒が今、なぜ音楽文庫なのか、と疑問をお持ちの方も多いのではないかと考え、その経緯につき説明させていただきます。
私は小学校に上がる少し前から母の意向に従い、当時“絶対音感を基調としたピアノ教育”を標榜しておられた松岡 栄先生にピアノを学びながら、沢山の音楽、なかんずくベートーヴェンの音楽に接してまいりました。後年DAAD(ドイツ学術交流会)の留学生として1961年から3年間、当時の西ドイツ・ハイデルベルク大学生理学教室で研究生活を過ごしましたが、その間も音楽とりわけベートーヴェンに対する情熱が絶えることはありませんでした。ご存じの通り作曲家ベートーヴェンは1770年末ドイツの小都市ボンに生まれ、少年時代・青年時代を過ごしたのち、1792年音楽の都ウィーンに上り、二度と再び故郷を見ることなくその地で生涯を終えた稀有の天才音楽家であります。
私は目的地のハイデルベルクへ行く前の2ヶ月を、南アルプスに近いバイエルンのバート・アイプリンクという町の語学校(ゲーテ・インスティトゥート)に通い、義務付けられたコースを済ませました。この間に南独の都市ミュンヘンへ出かけ、当時新ベートーヴェン全集を刊行しつつあった“G・ヘンレ社”を訪れました。私がハイデルベルクで研究生活を始めてから真っ先に赴いたのはボンで、1961年末のクリスマス休暇のことでした。ボンにベートーヴェンの生家があること、そこの博物館には生涯難聴に苦しんだベートーヴェンが用いた数々の補聴器が陳列されていることなどを、第2次大戦前ベルリンに留学した耳鼻科医の父から聞いていましたし、何よりも同年刊行が開始された“新ベートーヴェン全集”の刊行元のベートーヴェン・アルヒーフがここに存在していることを知っていたからでした。私が胸を躍らせながらこのアルヒーフを訪れたのはいうまでもありません。初対面の私に対し、アルヒーフの主席研究員のハンス・シュミット博士は極めて丁重に迎えて下さり、非公開の“ベートーヴェン文庫”まで見せて下さいました。しかもベートーヴェン関連の古くて貴重な図書類を取り扱っているミュンヘン郊外のトゥッツィンクにある“ハンス・シュナイダー書肆”を紹介して下さったのでした。 さて、私の第2のベートーヴェン詣では翌1962年の夏期休暇を利用してのウィーン旅行でした。前回の雄大なライン河を下る列車の旅と対象的に、今回のウィーン旅行はオーストリーとの国境に至るまでにドナウ河やイン河やザルツァッハ河を渡り、ザルツブルクやリンツを経て美しい山野を走る期待溢れるものでした。170年有余もの昔、16歳の若きベートーヴェンがウィーンのモーツアルトの教えを請うべく、ほぼ同じコースを当時馬車で初めて旅したことに思いを馳せながら、ついに有名なシュテファンス・ドーム奥のドームガッセにあるモーツアルト記念館“フィガロ・ハウス”を訪れた時の感激は忘れられません。入口で最初に目に触れたのが若き日のベートーヴェンのシルエットの口絵が載った有名なウェーゲラーとリースの共著になるベートーヴェン伝(1838年)の小冊子でした(付図参照)。後日、先のハンス・シュナイダー書肆に掛合ってみたところ、意外に簡単に、しかも一留学生にも無理ではない価格で貴重な文献を入手することができ、欣喜雀躍の思いでした。この伝記の前の所有者が、献辞サインから推して何と高名なリスト研究者であり、アーヘン歌劇場の音楽監督でもあったP.ラーベ博士であることを知り、再度驚きました。ボンのシュミット博士からはベートーヴェン関係の文献につき多くの助言を頂くことができました。戦前わが国には、“旧ベートーヴェン全集”(ブライトコップ ウント ヘルテル社版)ただ一揃いのみが徳川家の南葵文庫に存在しているという貧弱な状態でしたので、何としてもわが国に一刻も早いベートーヴェン文庫、つまり作品全集と伝記や学術書を備えた総合図書館の整備が望まれた次第です。
留学中はもとより、帰国後も私のベートーヴェン関連の文献収集熱は高まる一方で、先に述べたハンス・シュナイダー書肆が時折刊行する美麗かつ極めて詳細なカタログが私宛に送られてくることもあって、自分の懐具合と相談しながらこれまでにベートーヴェンに限らず大作曲家の初版楽譜あるいは稀覯本を買い求めてきたのでした。私のドイツ留学の時期に一致して“新バッハ全集”、“新モーツアルト全集”、それに待望の“新ベートーヴェン全集”の刊行が開始され、半世紀が経過した現在、前の2人の作品全集は既に完結しましたが、肝心なベートーヴェンのものはいまだに未完で刊行継続中です。不肖私はその後も短期留学や所用などで欧米に出かける機会がありましたが、その都度いろいろな都市の音楽図書館をはじめ大作曲家の記念館はもとより、各地に存在する音楽出版社や音楽古書店を尋ね、見聞を広めてまいりました。私の場合、ベートーヴェン自身が創作のため生涯用い続けたスケッチ帳に大いに関心がありましたので、それらの復刻版や関連図書の収集に努力しました。とりわけ分断された東西世界にあって入手困難と思われたモスクワのグリンカ博物館の出版になる貴重な“1802~03年スケッチ帳(N.フィッシュマン、 1962)”を、当時の館長E.N.アレクシーヴァ女史の厚意と発案により書籍交換という形ではありましたが、贈与して頂くことができ感謝しております。楽譜では多くの作曲家の歌劇や宗教曲や管弦楽曲、室内楽曲の総譜をはじめ、各種のピアノ独奏曲で現在価値があると思われる初版本などなるべく沢山収集するように努めました。なお、新しい出版物に関してはヤマハミュージック社の世話になりました。
今回、縁あってわが福岡大学図書館に私蔵のささやかな文庫を寄贈させて頂くことになりましたが、この文庫が今後のわが福岡大学の知的関心または芸術上の発展に寄与することができるならばこれに勝る喜びはありません。
このような主旨をご理解下さり、さまざまな便宜とご協力を賜りました歴代図書館長先生、歴代図書課長様、図書館職員の皆々様に厚く御礼申し上げます。
(2016年4月吉日記す)

【「福岡大学図書館報 No.129(2016年7月20日発行)」より転載】

香江文庫

香江文庫について

井上 忠

このたび福岡市内唐人町に医院を経営される香江誠氏から同家所蔵の書籍類(木版・活版・写本)が寄贈された。 江戸中期から明治末期にわたる期間に発行あるいは筆写されたもの90部(内訳は和書87部796冊、洋書3部3冊)に及ぶものである。 一見して当時の第一線にたつ知識階級に属する人の蔵書として洵にふさわしいものである。
香江家の家系について一言すると、先祖は菅原道真の子孫から出たとされる大鳥居氏で大宰府神社の神官であった。 江戸初期黒田の筑前入国に際し、既に隠退していた如水(孝高)は隠宅を宰府に設け、ここに連歌の相手役として選ばれたのが大鳥居信寛の次男であった。 社前の池の名“かほり江”を如水の命により己が姓として“香江”と改め、また同じく命により京都に医学修行に出ること9年間、 延寿院玄朔の弟子としてその名も玄悦と改めた。同家には今もなお天神宮神影と神農画像を伝えている由である。 香江玄悦は島原の陣にまで参加して200石の禄を得、その2子のうち長男信朔が神職をつぎ、次男が黒田藩士となり、 各々その家職を世襲していった。信朔の孫の代から-いかなる事情が介在したかはわからないが- 社職をすてて藩医となり道格と号し、その子孫がこれをついでいった(外科医140石)。 道格を1代目とし4代道革から古学派の亀井昭陽に師事し、8代誠のときに維新を迎えた。 誠は行政的手腕にもすぐれていたとみえ、明治12年になった福岡医学校(九大医学部の前身)校長として令名を馳せ、 同家庭園には武谷水城の文になるその顕彰碑がたてられている。当代は10代目に当られる由である。
こうした同家の歴史に拠りながら寄贈書を見ると、うなづける点が多々ある。 まず黒田家関係の写本、貝原益軒の啓蒙教訓書から「養生訓」、さらに「慎思録」抄や「大疑録」まであるとは益軒への関心は並々ではない。 それから亀井門人であった4代目あたりによる南冥・昭陽の詩文集や諸経典の注釈書、講義ノート等が多く、亀井学派の研究には甚だ好資料にめぐまれているといわねばならない。 次に中国の経書・子書の注釈書、詩文集の豊かさは当時の知識層に共通した現象で、ことに江戸後半期における日本人による漢詩文の制作量には驚くべきものがある。 寄贈書中には香江氏の作品集も数冊見受けられるようだ。なお幕末~明治初期に蘭書から翻訳出版された医学及び医学関係書、世界地理歴史書もかなりある。 福岡医学校々長として活躍した8代誠氏の購入によるものか、この頃出された各種の日本史々論もの・維新新政府が発行した今日の官報にあたいする印刷物・福沢諭吉の西洋文明紹介の啓蒙書・スマイルスの原著を中村正直が訳した「西国立志篇」は2種類あり、 程度の高いものとしてはヨーロッパの政治形態をアジアや日本と比較しながら論じた加藤弘之の「立憲政体略」・「真政大意」もある。また明治も10年前後になると当然のことながら蘭学に替って、化学・幾何学・衛生学等々にわたり欧米学術の訳書が登場するが、 それらも文庫中に見られる。比較的新しいところでは日清・日露戦役談の詳細なもの、「日本海大海戦図解説明」といったものもあり、かなりバラエティに豊かな文庫である。本文庫の存在はとかく実用書中心になり、古版、写本にまで手が及ばない私大図書館にとって、 洵にうるおいを与えてくれる貴重なものといわねばならない。
最後に本文庫寄贈の由来について一言。本学人文学部山室三良教授が嘗て秋月藩の陽明学者中島衝平(操存斎)の資料を探訪された際、その孫娘にあたる春枝氏が香江家の先代に嫁がれたと知り、 直接香江家を訪問されたことがあった。それが機縁となり90才に及ぶ祖母さまの御厚意で寄贈されるに至ったという。有効に利用されることを願ってこの拙ない紹介文の筆を擱く。

(人文学部教授)
【「福岡大学図書館報 No.5(1971年6月25日発行)」より転載】

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