15.恵斎畧画芭蕉翁臨滅度之圖
【けいさいりゃくがばしょうおうりんめつどのず】(外)

(刊)縦版一枚(掛幅装)(98.3×52.6cm)
(江戸)紹真【つぐさね】図
[寛政九年(1797)~文政七年(1824)頃]成
窪世祥【くぼ・せいしょう】刻
木母寺旧蔵碑銘
正面摺り

福大図書館所蔵情報へ このページをPDFで見る
クリック詳細画像

    江戸木母寺の石碑を正面摺にしたもの。石碑題額には「恵斎畧画芭蕉翁臨滅度之圖」と彫られ、 作者恵斎の名と画題を明らかにしている。左下隅に「紹真圖」、欄外に「窪世祥刻」と彫師名がある。画は、 伝統的な釈迦涅槃図の構図を借りて、釈迦の代わりに芭蕉が横たわり、周りに蕉風の俳諧を志す人々がその死を悼む構図。衣に、 俳号の一字が記されることによってその人物が誰であるのかが判明する。其角、杉風、許六他、計四四名の俳人が並び、手前には 涅槃図と同様、動物や小禽、大津絵の鬼までが並ぶ。画面下は「此紙本嘗曙山所愛写後刻碑陰以建於角太川木母寺裡云」と刻まれる。 木母寺は、墨田村堤(現・墨田区堤通)のもとにあり、隅田院(すだいん)と号し、天台宗東叡山に属す。謡曲「隅田川」で有名な 梅若塚があり、江戸期には行楽地でもあった。
    翻って本図は、恵斎の遊び心を示す面白い図。後年、秋圃が仙崖和尚の涅槃像を描いたのも、本図あたりがきっかけとなったものか。