17.[江戸一覧図【えどいちらんず】](外)

(刊)大横版一舗(掛軸装)(本地・41.8×56.9cm)
[享和三年(1803)]
(江戸)鍬形紹真【くわがた・つぐさね】筆
[江戸]野代柳湖【のしろ・りゅうこ】[刻]
彩色版

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    富士山を中心に、秩父山から上総の海までを背景として、眼 下に江戸の町々を俯瞰できる構図となっている。江戸城の森が、 富士山の手前画面奥にそびえ、隅田川が流れ、精緻な筆遣いで 江戸の町屋の屋根がぎっしりと描きこまれ、海上には帆船も浮かぶ。画面縦方向は奥・一ケ谷八幡から手前・亀井戸まで。 横方向は右・上野寛永寺から左・深川まで。要所に小さく地名や山名等が書かれるのは、江戸以外の者が土産物として買って ゆくことを意識したか。右上の空の部分に落款「江戸鍬形紹真筆「紹真」(朱陽刻方印)」がそびえ、右下、雲の部分に小さく 24.『略画式』等でもおなじみの「野代柳湖刻」と彫師の名がある。小澤弘氏によると、 再版図(文化十四年(1817)刊か)には彫師名が無く、地名等の書き込みも異なるという(『都市図の系譜と江戸』)。
    斎藤月岑「東都の画図を委敷(くわしく)一と眼に見るやう、かくことを工風して大に世人にもてはやさる」 (『増補浮世絵類考』弘化元年成)と評されたのは、この画だったか。なお、恵斎は寛政六年(1794)五月に、津山藩松山家 の御用絵師に召抱えられ、肉筆の本画「江戸一目図屏風」(もとは襖絵、文化六年(1609))を制作するが、それは小澤氏に よると、本図(小澤氏は「江戸名所之絵」と題す)を基に拡大し、細部に手をかけた大画面に仕上げたという(前掲書)。 恵斎の俯瞰した大画面は、武家や大名まで持てはやしたことが窺える。