江戸の園芸文化
江戸時代は、大名から庶民まで身分を問わず園芸に親しみ、園芸文化が発展しました。
徳川将軍家は、初代家康、2代秀忠、3代家光と3代続いて花好きでした。2代秀忠が好んだことをきっかけに椿が大流行したのをはじめ、躑躅、菊、牡丹など様々な植物が人気を博し、盛んに栽培されました。江戸時代後期には、朝顔、花菖蒲や桜草などで、数多くの新しい品種が作り出されています。
桜草
「サクラソウはよく人の知っている花草で、どんな人にでも愛せられる。またその名もよくつけたもので、まことにその花にふさわしい名称である。-中略-
このサクラソウの園芸的培養品にはおよそ二、三百の変わり品があって、みなこれまでの熱心な園芸家により、苦心して作り出されたものである。これは世界中に類のないもので、大いにわが邦の誇りとするに足る花である。」(牧野富太郎著『植物知識』pp.45-46)
花菖蒲
「ハナショウブは世界の Iris 属中の王様で、これがわが邦の特産植物ときているから、大いに鼻を高くしてよい。 -中略-
Iris 属中の各種中で、ハナショウブほど一種中(ワンスピーシーズ中)に園芸上の変わり品を有しているものは、世界中に一つもない。これは独り日本の持つ特長である。なんとなれば、ハナショウブを原産する国は、日本よりほかにはないからである。」
(牧野富太郎著『植物知識』p.62)
園芸書
園芸を楽しむ文化が広がるにしたがって、品種の紹介や栽培方法の解説が載った園芸書が次々に出版されました。
『草木錦葉集』は斑入り植物を中心に、奇品ばかりを集めた図譜です。奇品とは、葉や花の形状が変わっているものを指し、粋人に愛好されました。
花の名所
「お花見」が庶民の行楽となったのもまた、江戸時代でした。上流社会の楽しみであった花見は、桜の品種改良や徳川吉宗の施策に後押しされ、春の風物詩となりました。人々は四季折々の花見に出かけるようになり、江戸の花見は「梅に始まり菊で終わる」と言われるほどでした。
絵本吾嬬鏡 / 森島中良[編] ; 鍬形蕙斎画