W・モリスのケルムスコット・プレス


19.ウィリアム・マインホルト 『魔女シドニア』

1893年/ハマスミス刊/Flower(2)大型4折判(290×212mm)ゴールデン活字ボーダー8番紙刷り(300部):4ギニー [ヴェラム刷り(10部):20ギニー]
Meinhold, William -- Sidonia the Sorceress. xiv, 455 pp. Hammersmith : Kelmscott Press, 1893. 所蔵情報へ所蔵情報

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『魔女シドニア』 左頁では、本文の中段右よりに見られる∴記号のための注が左の肩に赤字で印刷されている。左頁の本文は右頁中央の黒字に印刷された部分に繋がっていく。そして右頁本文の∴記号のための注は赤字で本文を取り囲んでいる。ケルムスコット版では最も斬新にして大胆なレイアウトの例である。
 この『魔女シドニア』の著者は、ルタ-派の聖職者マインホルト(Wilhelm (またはWilliam) Meinhold,1797-1851)で、モリスの解説によると、本書は15世紀後半~16世紀前半に北部ヨ-ロッパで起きた魔女騒動に取材した歴史小説として、その時代の生活と悲劇的事件と登場人物とを描写して右に出るものがないほどの傑作であった由。今日ではほとんど知られていない『魔女シドニア』であるが、当時はドイル(Arthur Conan Doyle, 1859-1930)などもワイルド夫人の翻訳で愛読していた。
 オスカ-(Oscar Wilde, 1854-1900)の母親ワイルド夫人(Jane Francesca Speranza
Elgee Wilde, 1821-96)による1849年の英訳がラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)の面々に刺激を与えて、ロセッティは『魔女シドニア』の虜になったし、バ-ン=ジョ-ンズも1860年にその題材で2点の水彩画を描いた。ケルムスコット版での本書刊行に際して、モリスはワイルド夫人に25ポンド(60万円相当)の小切手を送ったが、それは当時貧窮の極みにあった彼女を喜ばせた。
 画家ビアズリ-(Aubrey V. Beardsley, 1872-98)が本書に挿絵を描くことを希望して1892年初夏にモリスを訪ねた。モリスが丁重さに欠く断り方をしたために、ビアズリ-は生涯彼を恨み、デント社(Dent)の『ア-サ-王の死』(Le Morte Darthur, 1893-94)に描いた挿絵では、モリスのデザインをパロディにしたほどであった。「彼の本は古いものの単なる模倣だが、私のは新しく独創的だ」とは、ビアズリ-の弁である。
 後にエリスは本書に許容し難い数の誤植を見出し、モリスへの手紙で彼の校正振りに不満を漏らしている。また4ギニ-(10万円相当)した紙刷り本300部も売れ行きが芳しからず、30部をハ-フ・ホランド装にして英米の図書館に寄贈した。ヴェラム刷り10部は20ギニ-(50万円相当)で販売された。(藤井哲)