W・モリスのケルムスコット・プレス


20.ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 『バラッドと物語詩』

1893年/ハマスミス刊/Flower(2)8折判(200×140mm)ゴールデン活字ボーダー4a ・4番紙刷り(310部):2ギニー [ヴェラム刷り(6部):10ギニー]
Rossetti, Dante Gabriel -- Ballads and Narrative Poems. 227 pp. Hammersmith : Kelmscott Press, 1893 所蔵情報へ所蔵情報

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『バラッドと物語詩』  ロセッティ(1828-82)は画家兼詩人で、1848年にラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)を結成し、ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)の後援のもと、1850~60年代に優れた作品を産み出した。彼はバ-ン=ジョ-ンズ,スウィンバ-ン(Algernon C. Swinburne, 1837-1909)とも仲間同士で、モリスなぞはロセッティに心酔し彼を崇敬した。
 ロセッティは、絵のモデルにする「絶世の美女」を街に捜し歩いて、1857年にジェイン(Jane Burden, 1839-1914)を発掘し、ロセッティを有名にしたあの首長で鋭い目つきの美女を何点もの絵画に描くことになった。そうした縁からジェインはロセッティに熱を上げたらしいが、ロセッティのほうは距離を置いていたようだ。何分にも彼女は家族の年収が30ポンド(72万円相当)にも満たない労働者階級の出身であった。そこで年収900ポンド(2000万円強)のモリスが騎士道精神を発揮して彼女に求婚をした。ジェインは1859年にモリス夫人の座に納まった後ロセッティのことが忘れられず、ロセッティのモデルを続けるうちに二人の間は愛人関係に発展していった。本書刊行の時点ではロセッティも既に故人であったが、モリスは妻の愛人の詩集を製作・出版したことになる。ちょうど『プロテウスの恋愛抒情詩と歌』(No.3)では妻の現在進行中の愛人の詩集を手掛けていたように、美人妻を娶った亭主の気苦労から生涯解放されなかったようである。
  画像の178-79頁は、ロセッティの代表作として有名な「浄福の乙女」(“The Blessed Damozel”)の冒頭である。ジェイン出現以前の1850年に創作された詩ではあるが、1856年および1870年に改訂が施された作品でもあるから、今日の我々にはロセッティのジェインへの想いが籠められているように読めてしまう。それにしても、こうした作品を組み版していたモリスの心境や如何ばかりであったろうか。(藤井 哲)

浄福の乙女

浄福の乙女は天上の
黄金の欄干から身をのり出した。
彼女のまなざしは、夕べに凪いだ
淵の水よりも深々としていた。
彼女は三本の百合を手にし、
髪にちりばめた星は七個だった。

.....(略) .....

そして尚も彼女は身をかがめて,♂

浄域から身をのり出した。
そのよりかかっている手摺が
彼女の胸であたたかくなる程に。
そして百合は曲げられた手に沿って
眠ったように横たわっていた。

彼女は天のゆるぎない場所から、
「時」が宇宙の全体にわたって
鼓動のように烈しくゆれ動くのを見た....

(前川俊一訳『世界名詩集大成:イギリス篇』